でかいチーズをベーグルする

でかいチーズはベーグルすべきです。

研究と開発のはざま

博士を取ってからの3年間はアカデミックで仕事をしていたけど、4月から民間企業に移ることにした。転職するかどうかそうとう悩んだわけだけど、その時に研究についていろいろと考えたのでちょっと書いてみたい。

工学では研究と開発の違いなんて無い

誰もが納得するような明確な違いは無いと思う。あったら教えて欲しい。

実際、ほとんどの研究(論文)が何かを開発しているし、それが世の中の役に立たないと評価されない。逆に、ほとんどのプロダクトには新規性(もしくは他のプロダクトとの差異)がある。確かに、工学において研究と呼ばれるものは開発と呼ばれるものより平均的には基礎的なことをやっているとは思うけど、とはいえ明確な線引は出来ない。

研究を神格化しすぎる風潮があるんじゃないかな。

「研究者です」というと「すごい!」と言われることがよくある。そう言ってもらえるのは嬉しいけど、べつにすごくないよ。99%の研究者は世の中に何のインパクトも与えない研究をやって、何のインパクトも無い論文を書いてる。それってすごいのか? 一方で世の中に多大なインパクトを与えるプロダクトを開発している人だってたくさんいる。要するに何が言いたいかというと、「研究は開発よりもすごい」なんてことは一切ないし、まぁそもそも違いもないよねということ。

研究とはなにか

さて、それなら研究とはなんなのか。それは自分の捉え方次第。自分が研究だと思ったらそれは研究だ。客観的な線引は出来ないんだから、当然そうなる。

じゃあ自分自身にとって研究とはなにかと考えると、「自分がワクワクするような成果をだすこと」だ。ワクワクしなければ意味は無いし、成果が出なければ意味は無い。少なくとも自分にとっては。

わくわくするには、自分の解きたい問題、答えたい質問を見つけなくてはならない。わくわくするにはその問題を解決しなくてはならない。わくわくするにはその解決法について自分が納得しなくてはならない。自分が納得するには、他人も納得させないといけない。というか、他人が納得しない結果に自分が納得するわけがない。他人が納得しないということは、どこかに論理の飛躍がある。

要するに、「自分がわくわくする問題を見つけて、それを他人も納得するような形で解く」というのが自分の中での研究だと思う。

ビッグクエスチョンがないと研究は厳しい

自分がワクワクして、解くのに5年くらいかかる問題がないと研究を続けるのは難しい。

ビッグクエスチョンがないと、適当に問題を見つけて、あるいは誰かからもらって解決するただの問題解決屋になってしまう。問題を解決するだけならどこにいても出来る。すぐに解決できる問題に取り組むのも研究職の利点を活かしていない。すぐに解決できるなら土日に趣味でやれば良い。

研究職の良いところは、自由が多いこと*1

せっかく自由に自分がやることを決められるんだから、面白いことをやりたい。せっかく自由に使える時間があるんだから、自分の好きなことに使いたい。自分がワクワクするような問題にじっくりと取り組む。こんなに楽しい仕事はないと思う。実際、面白い問題を見つけてそれに取り組んでいる時は本当に楽しかった。

ビッグクエスチョンを見つけるには世の中のことを深く知る必要がある。

何が自分にとって面白いのかなんて、結局のところこれまで自分が作ってきた価値観の中でしか考えられない。考えても考えても思いつかないなら、ずっと思いつかないはず。視野が狭い。視野を広げていけばこれまでは思いもつかなかったような面白いことが見つかるかもしれない。視野を広げるって相当難しいと思うけど、少なくとも新しいことをやれば視野が広がって面白いことが見つかる可能性は高くなると思う。

まとめ

自分が心の底から解きたいと思える問題があるなら研究職につくのは素晴らしいと思う。自分にこんなに裁量がある仕事はそうそうない。でもそういう問題が見つかっていないなら一歩踏みとどまったほうが良い。それがないなら研究と開発の間に大きな違いはない。

*1:自由なんてないという研究者の皆さん、大変お疲れ様です。